とりとめのない内容を描いているブログでも,やっぱり普段からネタ考えてないと書くこと難しいよねという話

まだこのブログを書き始めてからほんの数件しか書いていないにもかかわらず,いざ書こうとすると「何を書こうかなあ」と数十分時間がつぶれてしまいます。

そんなことを思いながら,生活のあらゆることはネタになりうるのに普段何も気にしていないと目に留まることってあんまりないなあと思ったということを。

 

世の中に話が面白い人っているじゃないですか。

叩けば埃のように面白い話がどんどん出てくる人。

ああいう人たちと我々一般ピーポーの何が違うのかって,普段から話の引き出しを作っているかどうかの違いだと思うんですよ。

例えば,コンビニで買い物しておつりの金額が666円だったとしましょう。

我々,というか,私のような人間だと,あーちょっと不幸だったな~と,それで終わりになっちゃうわけであります。

ところが,面白い話をストックしているような人って,この話を面白おかしく話すことができるんですよ。

もちろん,普段から引き出しを増やそうとしている人だから,この話覚えておこう!みたいな思考回路になるということもあるでしょうけれど。

彼らは話の膨らませ方がとても上手なんですよ。

666円だったという話を一つのエピソードトークのオチとして使うなら,我々が普段なにげなくスルーしているような小さな不幸を羅列してから,コンビニでのおつり金額の話をする。やっぱり不幸だったわ!ってオチをつけてひと段落。

 

うん。まあ腹を抱えて笑うような面白エピソードではないけれど,なんか面白い話してよ!って言われたときに何もないよ......って言って場の空気を変な感じにしてしまうよりはよっぽどいいんじゃないでしょうか。

それただの偶然じゃね?とか,思い込み激しすぎるだろ!とか,まあこの話をきっかけとして会話がはずめばよいじゃないですか。

芸人でもない我々にとっての面白い話なんて話題作りのきっかけとしての役割の方が大きいんですから。

 

というようにね。普段経験している何気ないことでも一つの話題のタネにはなりうるし,そういう目線で生活しているほうが何かと気づきを得られていいんじゃないかと思ったよという話でした。

 

ところで聞いてくださいよ。最近あった話なんですけど,この前一人でお酒を飲んでいたんですよ。

暇だしユーチューブでもみるかと思って,ヘッドホンをつけて大音量でいろんな動画を再生しながら酒飲んでたんですよ。でも急にヘッドホン越しに笑い声が聞こえてきて。

ククク......フフ……みたいな。

もう怖くなっちゃって,「え?なんだろう!?」ってちょっとだけパニック。

恐る恐るヘッドホン外してみたんですけど,外すと何も聞こえないんですよ

これはやばいかもしれない!と思ってその日は寝たんですけど,よくよく考えてみたらユーチューブの動画見て笑ってる自分の声だったんです。

 

 

「え,面白くないじゃん」と思いました?

面白かったならそれでよし,つまらんと思ったなら私はこう返しますよ。

「いや,めちゃくちゃ怖かったんだって。酔っぱらいながら笑い声聞こえてきたら自分じゃないって思うでしょ!」

反論がないなら俺の勝ちだが?

まあ反論があっても勝ちですね。言ったじゃないですか。「面白い話なんて話題作りのきっかけ」だって。

思春期反抗期だけじゃなくていろんな時期があるよねという話

人間だれしも思春期とか反抗期みたいな時期ってあるけど,そのほかにも一般的に言われていないだけでいろんな時期があると思ったので,文章になんとなーくまとめておこうかと。

最近だと親との関係が良好で反抗期なんてなかった!みたいな人々もいるみたいだけれど,そういう人でも思春期って経験するよね。

異性(に限らないというのが現代の性問題の難しいところだけどここでは恋愛対象=異性とさせてもらうね)のことがどうも気になったり,気になるあの子をつい目線で追ってしまうみたいなアレです。

まあ思春期はある程度成長するとそんな時期もあったなあという感じに落ち着くのですが,今回は思春期に焦点を当てたいんじゃなくて,「イキり期」って遅かれ早かれ誰しも経験するんじゃないの?と思ってこういう文章を書いています。

「イキり期」ってなんぞやというあまりピンと来ていない人のためにこれまたなんとなく説明すると,世の中糞じゃね?俺が一番!みたいな考えを持つ人です。

まあそこまでいかなくても,こいつイキっとるやん!みたいに思われがちな人,まわりにいるんじゃないでしょうか。

「イキる」っていうのがまあそもそも最近できたワードな気がするので,もしかしたらわかりづらいかもしれませんが,「いきがってる」的な感じだと思ってもらえれば。

 

「イキり期」が訪れがちなのが大学生,中でも大学2年生くらいかなあと個人的に考えています。

年齢的には19~21歳くらい。まあその辺は人によって差があるだろうけど。

いままで全く興味なかったのに急にファッションに目覚めて,「俺,めちゃくちゃシャレオツじゃね?」と心の中でひっそり思っていたり。

自分の中で先輩に格付けして,格下の先輩にはため口だったり調子こいた態度とったり。

まあそんな感じな「イキり期」が全員とは言わないまでも,6割くらいの人が経験しているんじゃないかなあと勝手に思っています。

思い返すと,あの頃の自分,めちゃくちゃイキってたなあという時期,あるんじゃないでしょうか。

 

すでに誰かしらが提唱してそうな話ではありますが,改めてここで,「イキり期」という時期,人類にありがちじゃね?ということを広く叫んでおこうと思います。

「イキり期」,世に広まったら私のおかげだということにしておいてください。

きっと流行るものには流行るだけの理由があるんだろうという話

流行り廃りとはいつの時代もあるもので。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

 

っていうのとはちょっと違うかもしれないけれど,流行って難しいよなあという話をつらつらと書こうかなと。

ここ数年でいうと,タピオカだったりインスタグラムだったり,そういう若者を中心に流行るものっていうのは,きっとおじさんおばさんにはわかりませんって感じでしょう。

まあ私はまだ20代なのでどちらかといえば若者に分類される方なのかもしれませんが,20代ですら流行りものはわからん!ってなるんだからそりゃあ年の離れた人々にとってはなおのことでしょって思うわけ。

流行の食べ物とか流行の曲とか,みんなどこから情報もってくるの?情報化社会こえー。

さて,ここでなんで流行なんて生まれるわけ?という理由を考えてみたい。

簡単に流れを考えると,「一部の影響力を持つ人(いわゆるインフルエンサー)→フォロワー→メディア→大衆」って感じかなと。

もしかしたら最近だと「インフルエンサーYouTubeで発信→大衆」みたいな構図になってたりするのかしら。

まあどちらにせよ,大衆はインフルエンサーが良いって言ってたから〜とか,周りがみんなやってるから〜みたいな弱い理由で流行ものに手を付けることが多いんじゃないかなと。

 

ここで登場,斜に構えオタク。

興味なくはないけど,流行っているからって流行に乗っかるのは負けた気がするタイプの人,そう私です。

まあ長年そうやって,流行ものは実態よくわからんし人がやってるからってやり始めたってダサいしやめとくわ〜って気取ってたら流行まったくわからんおじさんが誕生してしまったわけだ。

何が一番よくないのかっていうと,自分で体験することなく判断してるってところ。

なによりもったいないよね。

やってみたら思いのほか良いかもしれないし。

逆に悪かったら自分には合わなかったなとそれで終わりだし。

まあでも,最先端の流行に追いつこうとするのはまだまだ大変そうだし,ちょっと遅れてタピオカあたりなら頑張って摂取できるんじゃないかな。

 

気づかないうちに何かを失っているかもしれないという話

6月30日,にじさんじ所属の鈴原るるが引退・卒業した。

別にショックだとか驚きだとかいうことはなかった。

私自身,いわゆるVtuberの動画や配信をしばしば視聴していたが,引退や卒業はよくある話だと理解していたし,特段彼女が好きだったとか配信を欠かさず見ていたというわけではない。

それでもふと思ってしまった。

もしかして自分は知らないうちに楽しむ機会を失ってしまっていたのではないか。

推しだとか,ファンだとか,熱狂的になることができている人間は引退や卒業にショックを受けたり,やめずに続けてほしいと願ったりするかもしれない。

はたまた,全くかかわってこなかった人間はだれが何の活動をやめようと何の影響もないだろう。

私のように,配信をたまに見ることがあったとか,配信の見どころをを切り抜いた動画を見ていたとか,中途半端な形でかかわってきた人間が一番損をしているのだ。

もう少しちゃんと関心をむけて,配信を見ればよかったなあとか。パーソナリティやってたラジオちょっとくらい聞いてみたらよかったかなとか。

まあそういった後悔をしたところで今更どうしようもない(もちろん,アーカイブ等が残っている場合もあるが)。そのときそのときで起こっていた空気感というか,あのリアリティはもう体験できない。

なにもVtuberに限った話ではないと思う。

いつか行こうと思っていたバンドのライブについぞ参加することなくバンドが解散したとか。

そのうち買おうと思っていたコンビニの商品がいつのまにか棚から消えているとか。

そういうものに近い気がする。

 

よく「推しは推せるときに推せ」という言葉を聞くが,まさにそういうことで。

付け加えるなら,こういうことだ。

「推しじゃなくても興味があるなら近づいていけ」